鳥居みゆきとかまってちゃん。

一応書きますが、神聖かまってちゃんはロックバンドです。とりあえず一曲。

彼らは千葉県の出身のバンドです。曲を作り詞を書いているの子、そして他の三人も柏に住んでいて、ベースのちばぎんとキーボードmonoはの子と同じ幼稚園出身です。「駅前TSUTAYAさんで」という歌詞にその郊外感覚が絶妙に現れている。

かまってちゃんの特徴は、ポップなメロディーと、ネガティブな歌詞と言われることがあります。それに加え、の子の独特な言語感覚(「天使じゃ地上じゃ窒息死」の曲名など良い)と挙動の危うさ、美しいピアノリフ、そして自作PVのセンスの良さなどが素晴らしい点でしょうか。先程張った「ロックンロールは鳴り止まない」は、公式PVが出来る前の、人の映像使いまくりのPVも最高でした。

しかしこれらの殆どは、の子一人に起因するものと言えます。曲のポップさ、そして演じる時の危うさ、彼がこの両極を引き受けた存在であるということです。そしてこの振れ幅こそがバンドの魅力になっているといえる。*1無論曲も良質ですが、それ単体で成立するほどの新しさは持っていません。

ベタだが素晴らしいラインを、危うい素振りで辿る。そしてそのことで新しい魅力を手に入れる。この方法論は、2007年末にGyaoに登場し、翌年一年で圧倒的な知名度を獲得した鳥居みゆきのそれと似ているように思えます。鳥居みゆきのほうが論理的なベタさは大きい(そして地の本人の不安定性も大きい)傾向はありますが。*2

ネット経由での評価というのも二組に共通する点でしょう。見た目の危うさに邪魔されて電波には乗らない筈だったコンテンツが、ネットでゆっくりと評価され、本来持っていたポップ性で人気を獲得する。今日のNHK出演はその第一歩ということでしょうか。

鳥居みゆきが初めてテレビに出たときは、顔面を隠すマスクを被っていました。MJに出演したの子は緑色のボタン眼鏡をしていました。演奏が終わる間際、の子がグラスをあげカメラに目を曝します。その見開いた両目に、わたしは鳥居のそれをどうしても重ねてしまうのです。

*1:かまってちゃんの演奏を見ていると、ちばぎんだけが別のバンドにいるような錯覚に陥ることがあります。これはmonoの存在感のある顔との子に結局付き合ってあげる鈍感さ、みさこの走り気味なドラムが、の子自身のようにかまってちゃんの危うさの一つになっているのに対し、ベースを必要程度弾けコーラスもこなすちばぎんにそれを感じることができないからかもしれない。彼は一人でも成り立っている気がしてしまう。その意味では逸脱される側として重要な役割を果たしており、それはMJのパフォーマンスでの子の声が途切れた時の彼の声にある安心感と空々しさに感じることができるのですが。

*2:鳥居が逸脱の素振りだけを見せているのに対し、かまってちゃんは共感を得られる程度に論理的逸脱をしているのかもしれない(てきとう