かまってちゃんの新曲。

先日発表された新曲の話をします。僕は「美ちなるほうへ」が素晴らしいと思った。



この曲は「なるべく楽しいふりをするさ誰だって」と始まります。そして、「憂鬱になると きづけば誰もいないんだ」。ここで語られるのは真当なコミュニケーションにおける自虐の不可能性です。当たり前のことです。「憂鬱になると傷つけたりしてしまう」このフレーズは若干恥ずかしい感触はありますが同じことを歌っています。

しかし語り手は「悲しい顔を君にはみせたいと思います」と言う。楽しいフリでコミュニケーションを成り立たせることでなく、あえて誠実さとして後ろ向きの姿勢を見せるということです。そしてそのうえで外へでようとしている。楽しい、という形を装わずに出かけようとしている。

簡単に楽しいと言ってしまわないこと、メロディーに乗りきらないふらふらとした歌声を選ぶこと、その逸脱の仕方に我々は彼の誠意を見ます。歪な形が彼の中にもともとあってそれを打ち出した結果逸脱が生じているのか、単に、普通に流通する形からずらすことがテクニックとして存在するかはわからない。ただ僕はそのような存在に、逸脱をそのままに社会への参加を目指すありかたには一種の共感と憧れをいだいてしまうわけです。

幾度か印象的に映る青空がこの曲のPVのキモです。それは外の世界を象徴している。映画『マインド・ゲーム』(2004、湯浅政明)における青空の使い方を思い出す人もいるでしょう。鯨の腹の中の快適な生活から青い空の広がる外界へと飛び出すジャンプ。作品のバランスには不満がありますがあの映画の空には確かにある美しさがあった。映画では主人公の西は逆流する水の中前向きに走って青空の中に飛び込んでいくワケですが、かまってちゃんの場合は、映像の中朝方の駅の改札から出てくるくる回りながら走っていくの子のように、その歩みは必ずしも前を向いてはいない。しかしその不確かなフォームでの前進こそがかまってちゃんの本質なのじゃないかなあという感じですね以上感想終わり。