第9地区

第9地区を観ました。エンターテイメント! 正しいアバターだった。寓意とかどうでも良くて普通に面白く、満面の笑みで人体が弾けるのをみていた。友人が言っていたが、噂に聞いたヨハネスブルグ、本当に危険な街だった。

アバターとは二点重要な違いがあったように思う。それは身体性の有無と、故郷(ホーム)の描かれ方。(以下見てる前提で書いてるのでネタバレる。文章は短い。)






ネタバレあり。
双方の映画で主人公は異星人の身体を手に入れ、異星人の側に加担する。アバターでは、カプセルに入って目を閉じると仮の体に精神が移動し、現実の身体が目覚めると同時にアバターはただの肉になる、というようにその移動はかなりバーチャルなものだった。精神の移動が距離を超えて起こるという設定のため、主人公が風呂も入らず飯も食わず異星人の中に入って生活していても、廃人がネットのアバターにログインしているようなボケた印象しか与えられない。アバターでは現実の身体が傷つかない。*1サマーウォーズにも同様のダメさがあった。
一方第9地区でのヴィカスは、液体を浴びることで自らの意思とは関係なく、自分の体が段階的にエイリアン化するのを待つしかない。二つの世界を自由に移動しながら自分の居心地の良い世界を選びとるジェイクとは違い、ヴィカスは自分の身体のエイリアン化と義父の策略により、強制的に帰るべき場所を失っているのである。ヴィカスだけでなく、出てくる異星人たちも同様に故郷を失っている。第9地区の場合、映画の殆どの部分で皆が故郷を持たないが、それが郷愁の念を強調している。アバターが地球でのジェイクのことを殆ど描かずにいるのは対照的。だが異星人が星への帰途につく映画の終わり、人間の身体を完全に失ってしまった主人公も実は部分的にホームを再獲得している。それがあのラストシーンである。アバターのラストと皮相的には似通っているが、アバターは快い場所を自ら選びとって居座っただけであるのに対し(古い故郷を描かずに新しい故郷だけを描いた)、第9地区のラストはホームから追放されながらそこに固執する主人公が描かれていて良いと思った。

たぶんアバターは3D技術を使って頑張って異世界を描きすぎたので、身体性も地球世界の書き込みも失ってしまったのだと思う。これは3Dが現実を切り取るのではなく、空想上の空間を作るのに適しているというところに問題の根がある気がする。異世界モノ以外の3Dは難しそう。

*1:だからあの映画でもっとも緊張感があったのが、マスクを付けずに大気に身をさらす、人間の身体を引き受けたクオリッチ大佐がアバターに入った主人公を追い詰めながら、カプセルで寝ている主人公のホンモノの身体にも迫る場面だった。