記憶があまりない。昼に珈琲をいれ、夕方に振込みついでに米を買いに行き、夜もまた珈琲をいれた。それぞれ違う豆。深夜までなにをしているのか自分でもよくわからない。家族最後の日、読み終わった。植本一子は好きじゃない部分もあるけれど、文章が正直ですごい。これを読んでいたので日記を書こうと思ったのだから好きじゃないとか言うのも変だが。そのままの自分が見えていて、それを出している。たまに読んでいてきつい部分もある。途中ECDのTEN YEARS AFTERを聴いた。音楽も言葉も格好いいアルバム、この後に地震があった。2010年のアルバムなので10年後というと2020年だ。アーア。
自分は結局、ECDはデモでしか見れなかった。去年夏に行ったメテオナイトでSTRUGGLE FOR PRIDEとステージに立ったらしいが、それも見損ねた。徒党を組まないイメージがある、好きだ。ロンリーガールを聴き直したら、サビの部分がECDみたいだなと思った。「風がまぶしいだけ」というのもすごい。最近のラップは本人のことがたくさん歌われていて、すごく格好良いと思っていた。最後の曲も大好きだ。

昼はそば。母親が作ったカキのはいった汁、なんとなくあんかけのほうが美味そうに思えたので、途中で食事を中断してもらい片栗粉を溶き入れてゆずの皮の刻んだのをいれて出し直した。うまい。母が皮だけむいて置いてあった山芋も切って出した。これもうまい。
食事を終えて部屋に戻ると携帯に不在着信がある。近所の就職支援施設からだった。面談があったのをすっかり忘れていた。折り返したところ、まだ空いている時間があるらしく、その時間に来てくれと言われる。
面談を終えて、せっかく着替えたのだからこのまま出かけようかと考えたところ、観たかった映画が二本立てでやっていることを思い出し目黒へ。映画まで一時間以上間があり、すこし歩いたところにある喫茶店に入った。その場で調べたので、道順のロスもあってまあまあ歩いた気もする。ロースターと書いてあり少し期待したが、実際かなりうまかった。エチオピアナチュラル製法の豆を頼んだ。澄んだ味で落とせていて、良い。細かい種類は忘れた。窓が広い店だった。植本一子の本を少し読む。
映画は内容が直撃しそうな『南瓜とマヨネーズ』目当てだったが、併映の『パターソン』にやられた。ニュージャージー州パターソンのバス運転手の日常。大事にしなければいけないものが描かれている。生活の苦しさはなさそうだったけど、同僚のインド人の愚痴でわかるように、それを消し去った世界ではない。W・C・ウィリアムズやディキンソンが出てくるのも嬉しい。途中で格好いいアカペララップも出てくる。スタッフロールにメソッドマンと書いてあり驚いた。それ自体が詩という映画らしいが、散文的でもあり、また寓話的でもあった。作中に出てくる詩に似ている。振り返ってみると字幕翻訳が全体に散文寄りだった気がする。『南瓜〜』とは音楽をやっている無職との同居という共通点があり、良い二本立てだったと思う。『南瓜〜』では恋愛が終わり、自立した男が曲を作っていた。太賀がとてもよかったなあ。
帰りに二組カップルをみかけた。まずモスで前のテーブルに座った男女。男が急に、流れていた音楽に合わせて「ネバエンディンストーリ〜」と鼻歌を歌って、いいなあと思った。二番の終わりにもう一度「ネバエンディンストーリ〜」と歌っていた。女が手を繋いで引っ張るようにして帰っていって、それもよかった。もう一組は乗り換えを待つ駅のホーム。女が妙にはしゃいで、男に「うるさいの俺達だけだよ」とたしなめられていた。ピョコピョコ跳ねる女の方に感情移入してしまう。自分もそういうところがある。「全然うるさくない」と伝えようかとも思ったが、黙って笑顔で立っていた。こう書くとこわいな。電車に乗ってからも二人はその調子だったが、男のほうも、どこか嫌ではなさそうだった。

The Beach Boys/I Just Wasn't Made For These Times

from Pet Sounds(1966, Capitol)
今年の夏、暇を使って訳したThe Beach Boysの訳詞をのせる。今日の日記で書いた没頭についての箇所がある。寂しいという言葉に、没頭することがないんだよという意味のコーラスをかぶせている。

ぴったりくる場所をずっと探してる
心の中を話せる場所
それから人も探してる
離れたくないような人たち


バカじゃなさそうって言われるが
それでなにか俺が得したっけ?
それで良いことあったらなあ


いつだって何か始まるときは
いいことありそうだって思う
一体なにを間違えたのか


たまにすごく寂しくなる
たまにすごく寂しくなる
(心と魂を注ぎ込むモノがなくて)
たまにすごく寂しくなる
(心と魂を注ぎ込むモノがなくて)


俺、現代向きじゃないのかもなあ
ビビっときて
状況変えるぞーって思っても
誰も手助けはしてくれない
新しいものがみつかる場所を探してるんだけど


友達は調子いいもんでいなくなっちゃった 誰に頼ればいいの
どうなってるんだよマジ


いつだって何か始まるときは
いいことありそうだって思う
一体なにを間違えたのか


たまにすごく寂しくなる
たまにすごく寂しくなる
(心と魂を注ぎ込むモノがなくて)
たまにすごく寂しくなる
(心と魂を注ぎ込むモノがなくて)


俺、現代向きじゃないのかもなあ
俺、現代向きじゃないのかもなあ
俺、現代向きじゃないのかもなあ
俺、現代向きじゃないのかもなあ


海辺少年ズ「現代向きじゃないだけ」

全くまとまった文章を書く機会がないので、新しくブログを作ろうかと考えていた。好きなものについて書こうと考えていた。しかしブログサービスの比較検討をするのは面倒くさい。そうして時間が過ぎていっている。とりあえず日常雑記的なここを一度再開して助走をつけたい。そう思って書いている。
相変わらずすることもない。ただ春にはじめてカウンセリングを受けた結果、自分の状況と精神状態が少し整理され、楽しめるときは楽しめるようになっている。楽しんでいる。しかし、することはない。することが生まれた瞬間、人生の時間は圧倒的に足りないなあと思うのだろう。今は圧倒的に暇だ。
その暇を素晴らしいものとは思っていない。いや、素晴らしいこととは思っているが、それでも人生は楽しいや美味しいや気持ち良いを集めるだけではないような気がしてきた。暇は素晴らしいが、暇でありつづけることはそんなに素晴らしくない。楽しい美味しい気持ち良いだけでなく、自分の意志や、それを満たされたときの嬉しいがあったほうがいいような気がする。あるいは没頭があったほうがいいような気がする。楽しいは没頭かもしれない。
少し散らかってきたので別の話をする。スチャダラパーの素晴らしいアルバム『WILD FANCY ALLIANCE』に「ヒマの過ごし方」という曲がある。Youtubeで曲ごと貼ろうと思ったが、Sony Music Entertainment.incによってブロックされている。(「ヒマの過ごし方」の歌詞 うたまっぷ)曲はこう始まる。

「ヒマだねー」ってよく 言われるぼく/言われると確かにそう思う/気が付くと何だか罪悪感/感じてる自分こそなんだ/そもそも「ヒマ」って言葉自体/まずいい意味では使われない/辞書でヒマってひいてみた/これもまあ ヒマのなせる業/ヒマ=自由な時間 仕事や義務に拘束されない時間/確かに その人にしてみれば/ぼくはヒマに違いなかったが/その間ぼくはテレビを見たり/ファミコンしたり本を読んだり/時間について考えたりしながら /ぼくはぼくのヒマを過ごしていた/そんなヒマがあったらって言うが/みんなヒマは嫌いなのか/ヒマはダメか?悪いのか?/そんなに嫌かヒマが?

悪いものととられがちな暇は、実は全然悪くない、という話をしている。この後、むしろ「怖いのは、ただただある時間」、暇を恐れるのは不安に耐えられないためだろう。実際世の中の多くのもの(「大仏」「ピラミッド」「巨乳」「万里の長城*1)は暇から生まれてきたのだ。暇を受け入れられないのは能力の減退であり、そもそも仕事もファミコンも、全ての行動が人生の暇つぶしの一つの形であって、万人が万様の暇を持っていることを理解し、進んでいくべきなのだ。そう展開する。
この曲を知ったのは10年前くらいで、以来若干の後ろめたさを感じつつも好きな曲であり続けたのだけれど、この曲を「人生はヒマつぶし」と思って聴いていた。しかし今思えば、暇を使ってなにかやりたいことをしている人*2というのはとても忙しく、むしろ本人にとってはそれは暇ではないのだ。それは没頭だ。
他の人から暇と言われても、自分では価値があると思って邁進している。やりたいことをやっている。それが「ヒマの過ごし方」に出てくるヒマ人かもしれない。というか自分がなりたい暇人なのだと思う。「ヒマの過ごし方」ではヒマと言ってはいるが、そのヒマを生きる本人にとっては暇ではなく、充実した時間であり、人生だ。最近はそう思っている。暇を罪悪感を持ってすごしても得られることは少ない。他の人の考え方や社会の要求を必ずしも自分が内面化する必要はなく、自分の暇を堂々と過ごすしかない。「人生はヒマつぶし」かもしれないが、すくなくとも自分にとっては意味のある暇つぶしであったらよい。きっと楽しい。

ヒマを見つけて ヒマを知れ/ヒマを生き抜く強さを持て/一生 棒にふるくらいの/ヒマとゆとりを持って進もう/人の数だけヒマはあるのだ/それこそあたりまえの事なのだ

これはいいですね。こうありたい。

*1:3つめのボケは置いておくとしても、今考えればこれらの芸術は大きな国家権力があって初めてできるタイプのもので、暇の結果かと言われるとそうではないような気がする

*2:やりたいこととは将来成し遂げたいことのためにする努力、今やりたいことをただやっていること、そのどちらにも使うが、今は後者のほうが重要だと思っており、そのことだとして書いた。

Nas/N.Y. State of Mind(前半)

from Illmatic (Columbia, 1994)

うっす、おいおまえ、そろそろだぞ「えー、もうそんな時間かよ*1
そそ、もう時間だって「よっしゃ、はじめるぞ」

ラップの迷宮*2から即脱出して登場
偽者は出てこれねえ迷宮
どうやってはじめたもんかな……よし


ラッパーども、俺がキックするファンキーなリズムで奴ら仰け反らせる
俺は苦悩のうたで傷を負わせる音楽家
コカイン吸ってるスカーフェイスみたいに*3
M16を抱えてる 見ろよ、ペンを持ったら俺が究極
部屋のドアの覗き穴には弾痕
ストリート服でめかしこむ
9mm(口径)をよこせ、俺が敵*4をのす
ラジオでかかってようがなかろうが、俺のスタイル知ってる筈
俺はブランデー(E&J)*5抱えて、階段でほろ良い
もしくは街角でチンチロ(ceelo)のチャンプとグラント将軍*6を賭けてる
ぶっ壊れたアンプを売ろうとしてるクラック吸いを笑いながら


クスリの袋をさっさと売りさばく、いつまでもニガどもは何かペチャクチャ
この前(麻薬ディーラー撲滅の)警察部隊が来たときの思い出話さ
銃撃してるブロックからニガどもが走ってくる
革命開始は今だ、殺しちまえ、ヒューストン*7に向かえ
やつらが目を放したその瞬間だ、草むらには機関銃(MAC10*8)が落ちてる
俺は暗殺者(アサシン*9)の心でチーターみたいに走る
MAC10をつかむ、仲間に言う「下がれ」、銃が火を噴く
狙いは撃ってくるやつら、一人逃げ出した そいつを宙返りさせる
女どもが叫ぶのが聴こえた、俺の腕は震え、見ることができねえ
もう一度銃を握るとカチっという音、「クソッ、ジャムっちまった」
撃鉄を起こそうとするが撃てない、俺が窮地に
やっとしっかり撃鉄を起こす、弾倉に3発詰まってやがった


それで俺はビルのロビーに飛び込む
ロビーは子供でいっぱい、俺がどれだけトンでるかなんてわかりゃしない*10
「一体どうしたんだよ?」稼業(ゲーム)もこれまで通りにはいかないってこと
若いニガどもが引き金に指をかけて名声を得ようとしてる
街角*11の権利を主張しやがる、銃が無けりゃ落ちぶれるだけ
真昼間からピストル強盗のガキ、やつらが走ってくる
.45ACP、12ゲージ、 MAC10、マジな話
銃弾が次々に命中、黒い服着てクスリ盗むやつら
このブロックにちくり野郎がいる、引っ張られたやつがいるのさ
だからコークの値段が下がるまで麻薬は隠し持っとけ


このクラック中毒のことは知ってる、「最高のコカイン吸いたいのよ」なんて言う
「イイのくれたら、計量カップ一杯の客を連れてくるから」ってな
だがな、休暇をとったほうがいい
内部情報で大物どもは次々ムショ送りだ、残った妻たちはクスリ付け
深く沈んでくクスリは、俺の吐く息にも沁みついてる


俺は決して寝ない、睡眠ってのは死の従兄弟
知性の壁の向こう側で人生は決まってる*12
心のNY状態*13で、俺はや(犯罪)っちまおうかなって考える

*1:日本語ラップグループの)キングギドラ本邦初公開のこれ(1995)でK dub shineが言っている台詞でもある。

*2:上で言及した曲でzeebraは迷宮(ダンジョン)の話をしている

*3:勿論、邦題「暗黒街の顔役」(1932年、ハワード・ホークス)ではなく、1983年のデ・パルマのリメイクの方。

*4:敵"foes"は44口径"fours"と発音が似ている

*5:カリフォルニアのらしい

*6:50$紙幣。

*7:本拠地。NASAの本部があることから。

*8:イングラムM10。アメリカ製の短機関銃

*9:イスラムニザール派のことを十字軍側(つまり白人)が呼んだ呼称でもある。

*10:"So now I'm jetting to the building lobby/And it was full of children probably couldn't see as high as I be" ロビーに「飛び込む」(jet→ジェット機)の連想で「トンでる」(high→高い)と繋がっている。

*11:クスリを売る場所。

*12:あまりにもパンチラインすぎて、ほぼ直訳。「知性の壁の向こう側で人生は決まってる」は次の二解釈がありうる。 a)知性ではそこにたどり着けないところ、神や偶然によって、人生は既に決められている b)知性を持っている金持ちや政治家が、自分たちの人生を決めてしまっている

*13:New York State of Mindはビリー・ジョエルの曲でもある。ジョエルの詞は「いろいろな場所に行くやつがいる。実際俺だっていろいろ見てきた。でも、やっぱ俺はニューヨークだな」という感じ。この曲のニューヨークとの違いは面白いので、後でもうちょっと書くかもしれない。心のニューヨーク州に居る時は、という訳もできなくはない

空中でジタバタしているようだが、どこにも手がつかない。なにしろアリスみたいに落ちていっている。暗くて周りが見えなければ落ちてるのと上昇しているのはそう変わらない、地面につくまでは。
訳しかけていた曲がほかにもあった。ラップは言葉が多いので、全部やろうとするといつも集中力が持たない。訳しかけのまま先送りされていた。今日もそうなりかねないので、とりあえず半分だけ。

Have a nice day/Crass

from Christ – The Album(1982, Crass)

「紳士淑女のみなさま! キリストです!」


いつものやつさ 聴いたことあるだろ
粗野な俺たち(クラス)はシステムに鈍感 じゃなきゃ戦争?*1


ユーモアがないもんで、笑い方も分からねえ
お気に召さずば、おあいにく!


だって俺はいつもの動物園のいつもの猿
いつものメッセージわからせる


電車もない駅のプラットホームから叫ぶ
切符は片道、知るかボケ


俺が言わなきゃならんことがいつでも同じってんなら
システムのやってることが相変わらず同じってこと


老いぼれの馬鹿が権力の座
腐ってく古代の死体が毎時間惨事を吸って吐く


死が大好きな変態どもが大地を搾取
俺らの大地はすすり泣く


鉄の女と鋼鉄の男たち
また戦争になるのを待ってる


血に飢えたキチガイが全員殺そうとしてる
奴らが地下に隠れてるとき、俺らはミサイルが落ちてくるのを見てるのさ


ご立派で、上品、素敵な方々じゃあないか?
ぬくぬく暮らしていらっしゃる つけを払うのが俺ら


ウェストミンスター*2は脳のかわりに血の塊が詰まったサイコパスで一杯
血に飢えたハゲワシどもが俺らの遺体*3を掻っ攫う


クソに塗れつづける世界が法の下で綺麗適切に犯されてる
その上でクソをする


ではみなさま、ダンスパーティーをどうぞ ずらかってもいい
俺の話が退屈か? 聴けって頼んだわけじゃなし


さっさとずらかって楽しめ
てめえの海賊旗をあげて、プラスチック銃を振り回せ


塗りたくった顔とエレガントな格好
ちょっとは考えてみないかね


消費者の安い至福で生活を飾りつけ、愛のことはどこへやら
キスしようとしてるのはてめえのケツ


ロボトミーするTVや楽しいメディアで
やつらに押さえ込まれているうちは


お前はうまいようにやられっぱなしさ、これ以上言うこともねえ
精神警察に気をつけて*4、素敵な一日を!

*1:heroic coupletと言うんですかね。最後まで二行ずつ脚韻を踏んでいる。

*2:国会議事堂、バッキンガム宮殿、官庁と高級住宅地がある

*3:残高の意味もある

*4:オーウェル1984』に出てくるThought Policeを連想するが、ここだとMind Police。フランク・ザッパが使って頭脳警察のバンド名のもとになったのはBrain Police