25時のバカンス/市川春子

いろいろ書いていないとすべて忘れてしまうことに気づいたので一応書いておこうぐちゃっと。昨年の漫画の話題をほとんど独占した市川春子の読み切り前後編(月刊アフタヌーン9・10月号)を読んだ。個人的に大事件だった三好銀の単行本化の話もほとんどそれにかき消されたような形だったが、『虫と歌』はそれだけ素晴らしい本だった。「25時のバカンス」は姉弟もので、異生物もの。両方共彼女の作品で既に扱われたことのあるテーマだったが、今回はまた違った趣。とにかく今回もとても面白かった。
登場人物がかなり人間的に描かれてきている。まず、演出というよりまず見た目で。主人公の頬に斜線、照れを示す漫符が多用される。また後編にはいままでの市川作品にいないタイプの人物が主人公の親友として登場する。目が切れ長でなく、温度が低くないタイプの。彼女自身はあまり筋にかかわらないが、主人公と彼女の会話があり、それは前編のあるいは通常の市川作品にあるようなすずしいものではない。内実は変わらないが。このような温度上げがなんに効果をもたらすのか。それは非人間化する人間に温かみを持たせることで一層異様さが際立つといったことではないでしょうかね、なんか普通のこと書いただけだこりゃ。ほかにないか。彼女の感情の動きは恋愛や冷やかしには動くけれど、出てくるある種SF的な設定にはまったくうごかない。それも面白い。あと、いままで出てきた市川作品では殆どの人物が、そのある種異様な設定をすぐに受け入れてきた。カフカ的というか、あるいは民話メソッドというか。今回姉が人間でないことを知る部下もいままで通りスルーだ。しかし先述主人公の親友はその現実から浮遊した部分に食いついていく。結局それはどうもならないんだけど、その外部感は際立っている。
『虫と歌』が出されたとき、高野文子と少女漫画のいいとこどりだなすごいというように感じた。高野文子の作品が陰影の演出など漫画技法を突き詰めることでどんどん無機的になっていったのに対し、同様に特徴的な絵の無機質さを持った彼女がどこへ行くのか、ということについて、今回のキャラクターを強くしながら無機質感を際立たせるという形がひとつのヒントになっているのではないかとおもったがこのヒントレトリックなんか気持ち悪いぞたすけてくれとにかくそういうことです

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)